Wednesday, September 1, 2021

私の東京の祖母の記憶と原発震災のこと

  

 1923年9月1日、今から98年前に関東大震災は起き、10万人超の命が奪われた。私の父方の祖母は東京の浅草生まれ。(母方の祖母は福島出身)東京が大地震に見舞われていた際は中学生くらいだったと思う。そして私がこの話を聞いたのも中学生くらいの時。祖母に聞いた話で忘れられない話がある。祖母の2歳年上の姉は当時、病気で入院中。火の手の迫る中、「死なばもろともです!」と勇敢な看護婦さんがボートに載せて一緒に避難してくれたという話である。残念ながら祖母の姉は直後に病弱のため命を落とした。16歳だった。祖母はこの時の立派な看護婦さんの事が忘れられないという。

記憶をたどれば、私が小さかった時、祖母は異様に地震を怖がっていた。ほんのちょっとした揺れがあっても、「地震だ!!!」と孫たちを抱きかかえて家具の下に隠れたことを記憶している。祖母の反応の理由を知ったのは、上記の話を中学に入って聞いてからの事だった。 

(1968年東京の亡き祖母と1歳のころの私。本の並べ方の乱雑さが自分と似ている)

 

すでに東京に大震災が起きてからすでに100年近く過ぎている。今ここで大地震が来たらどうなるのだろう?東京の街並みを歩きながらそう思うことがある。100年前でも10万人の死者、今起きたらもっともっとすごいことになるだろう。いや、なんといっても日本は原発大国である。日本では原発の事故が起きたら最も危険だろう。東京から百数十キロには茨城県東海再処理工場という福島原発からの放出放射能量をはるかに超える超危険な施設もあるし、福井や浜岡の原発が爆発しても、偏西風によって東京はカバーされるだろう。福井の原発はちなみに今も動いている。狂気の沙汰だ。

 

そもそも地震国日本に原発を導入するという行為が狂気の沙汰であった。原子力を推し進めた中心人物はGHQの選んだ茅誠司、日本学術会議の副会長として1952年に早くも提案。ちなみにその息子の茅陽一は、原発がCO2をあまり出さないから(大量の温排水で直に海を温めているのだが・・・)温暖化に良いとするIPCCの国内連絡会の座長を務めている。

1954年、原子力予算は中曽根康弘氏がビキニ水爆実験のあった直後にウラン235にちなんだ235億円を提出。茅はその後東大学長となり、国の最高学府で原子力を推進。

 56年原子力委員会初代委員長には、戦前の内務省上がりの正力松太郎氏が就任した。正力氏はCIAのスパイとして知られており、コードネームはポダム。科学はまったく理解しない人であったが、「日本の原子力の父」と呼ばれていると同時に、野球や仏教界の賞の名前に今も用いられている。ひとつ忘れてはならないのは、正力が内務省時代、関東大震災で流言飛語をわざと流し、6000人の朝鮮の方々が犠牲になったという話は有名。http://koukaishitsumon.blogspot.com/2013/11/do-you-know-matsutaro-shoriki-cia-code.html

さて、日本の原発第一号炉は茨城県東海原発で、英国製、当時イギリスの大手保険会社ロイズは、「原子力はいまだ未完成の技術、また日本は地震大国」ということで引き受けを拒否したという。

それでも原子力産業側は、事故があったときにある一定以上の損害は国すなわち国民が負担するというトンデモナイ「原子力賠償法」を国会で通過させ、第一号炉が東海村に岸信介内閣の際に導入されてしまったのであった。こうして日本には英国製、そしてそれ以降は米国製の原発が次々と導入された。私は一度反原発で外国人記者クラブの会見を行ったことがあるが、5,60人もの記者がいる中、英米人はただのひとりもいなかった。https://savekidsjapan.blogspot.com/2016/01/1954h-bomb-test-by-north-korea-please.html

 

ちなみに当時の試算によれば、東海一号炉は、16万kWで当時の平均的な大きさの原発に比べ6分の1に過ぎないが、それでも損害額は国家予算の2倍以上という数字がはじき出されていた。しかも死亡者にはひとりたった80万円余りの補償金で、晩発性の死傷者は数に入れず、そして子どもや赤ん坊、放射線の遺伝的影響も無視されていた。日本での原発50基以上、世界では400基以上が存在している現在。人類最大の財産である遺伝子を傷つけるという行為はこうして拡散されてきたのである。

 

2000年に筑波で行われた地震学会で、300人くらいの地震学者を前に、フロアから叫んで質問したことがある。「原発事故が起きたら国家予算の2倍以上かかり、また国土の4分の1以上が汚染されるという試算も出ている。この国民の命に直接かかわる問題を対処しないのか!」と。眠たげだった場内は、突然空気が変わり、騒然となった。当時地震学会会長の入倉孝次郎氏が「この問題は検討せねばならない」とコメントするに至ったが、その後何も特別行われた形跡はない。

 

2008年TBSの報道特集でTV制作会社を通じ、「地震と原発」という番組を企画させてもらった。https://takenouchimari.blogspot.com/2020/08/2008.html 私の最も尊敬する地質学者の生越忠氏が(氏を20回以上訪ねたことを記憶している)、当時原発立地を認めてしまった活断層の権威、松田時彦氏を問い詰めるという秀逸なインタビューも含むもの。かなりの調べ物もしたので、東電によれば、20分ほどの番組で間違いは一つもなかったとコメントされたそうだ。 番組も好評で、TV制作会社社長には、「どうかこのような番組をあと20個くらい作り、国民の眼を覚まさせてほしい」と懇願したが、やはり無理という話だった。原子力村は強力である。事故の後でさえ、マスコミを完全にコントロールしている。


そして3.11は起きた。メルトダウンしているのは確実なのに、嘘の情報の垂れ流し。東北、特に私のもう一人の祖母の出身地、福島からは一人でも多くの子どもや妊婦に逃げてほしかった。考えられるすべての事はやってきたつもりではあるが、力不足を嘆いている。

 

「君はドン・キホーテのようだ」反原発になってから、こう称されることが時々ある。まったくその通りだと思っているが、こう批評する人は自分が置かれている立場を認識できていないのか、と驚いてしまう。地震原発大国日本の危険性を憂慮し、自らの足元をどうにかしたいと思わないのか・・・。他人事では全くないのだ。福島の悲劇は明日は我が身なのだ。 


私自身は原発問題を知ってから、それまでのちゃらんぽらんな人間性が、かなりましになったと自負している。原発導入が起きたのは、それこそ私より前の世代の方々のおかげだが、自分は事実を知ったからには、それを私より若い世代、次の世代に、伝え残すことが大人としての自分の責務と感じている。ドン・キホーテに見えようと見えまいと、それは取るに足らない些末なことだ。

 

原発問題を知った1999年以降、本当に自分の私的な生活を犠牲にして時には勢いよく活動してきた。東京で大震災に見舞われた威勢の良かった私の東京の祖母の血を引いているのだろう。祖母も突然どこかに出かけてしまう性向があると聞いていたが、自分も同じで国内外を飛び回っていた。(そういえば、祖母のお葬式に行ったら、祖母の弟が「姉の若い時と生き写し!」と驚いていたことがあった。)


今後もできることはやって行きたい。とりあえず、稼働中の原発はすべて停止するよう、防災の日の今日、声を大にして訴えたい!!!それは未来世代に対するすべての大人の責務である!!!


竹野内真理 2021年9月1日早朝にて


2021年9月1日稼働中の原発

関西電力大飯3・4号機、高浜3・4号機と美浜3号機、九州電力玄海3・4号機と川内1・2号機が稼働

 

 

2021年9月3日のNew York Timesによる関東大震災の記事。





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