Tuesday, September 28, 2021

反原発ジャーナリスト<本澤二郎の「日本の風景」(4218)

<原子力ムラの電磁波攻撃!?に散った大沼安史の勇気ある生涯>

電磁波過敏症とか電磁波攻撃という言葉を知ったばかりの科学音痴が、原子力ムラの電磁波攻撃を受けて亡くなったという大沼安史に挑戦している。市民運動家のリクエストに応えるもので、ネットで少しばかり調べてみた。軍事目的から生まれた殺人兵器が、医療分野や治安対策などでも使用されているらしい。医療分野で医師がミスすると、大事故が起きる。医療事故である。怖い不気味な話だ。


 「世界が見た福島原発災害」本を7冊も書いた原発阻止・反原発派ジャーナリスト・大沼安史の実績もすごいが、彼の最期は悲惨すぎる。警察に訴えても助けてくれなかった。捜査をしない「木更津レイプ殺人事件」と同様の対応だった。オウム事件の坂本一家殺害事件も同様であろう。

 日本国憲法を守ろうとしない国の組織・邪悪な公務員が存在する日本か。罷免されずに、逆に出世する本末転倒の最近の事例は、TBS強姦魔を助けて警察庁長官になった中村格だ。安倍・菅の自公内閣の悪質さは、言語道断であろう。こんな政権に付き合わされてきた、我と日本国民の顔が見たい?


 「水沢の住宅内。壁を通過して室内でビーム状のものが連射されています」「2012年5月4日未明仙台の自宅。電磁波防止蚊帳の中で。友人が駆け付けて助けてくれた。照射で左目がつぶれて」

 以上の日記は、本人の記録の一部だ。2011年の311で被ばくしたジャーナリストは、死を予感しながら福島を徹底して取材、本にして散ったのだ。未亡人の日記は以下のURL。


反原発ジャーナリストの大沼安史さんが電磁波加害で殺害されるまでの半年間の経緯を奥様が綴っています - Togetter


 参考までに電磁波攻撃についての記述をGoogleで検索してみた。

(電磁波攻撃のやり方とは?電磁波攻撃とはどのようなやり方があるのでしょう。基本的には、「電磁波発生装置」と呼ばれるものを使用して、対象者に電波を流します。これらの装置には様々な種類がありますが、中には簡単に手に入れられる市販のものもあります。また元々は動物などに使用されている装置を、人間にも悪影響を与える事が出来る為に強く改造される事もあるのです。脳神経に直接訴えかける事で、内部障害(記憶障害・音声送信・行動支配)などを引き起こす事が出来るのです。個人が使用する事も出来ますし、団体で行われているケースもあります。しかし電磁波攻撃を取り締まる法律は日本にはまだ無いので、警察が介入して解決する事は難しいのが実情です


<武漢コロナが日本人学者が作り出した生物兵器と「島津レポート」>

 大沼が原発ジャーナリストだと知ったのは、腰を抜かした「島津レポート」がきっかけを作ってくれた。その生きざまから見事な実績を残して、東北の地を去った。彼は英文の「島津レポート」を翻訳、それを偶然見つけたばかりである。

事情通も気付いていなかった。米国通も、である。


 米ウイスコンシン大学で研究していた、不名誉な日本人学者が、武漢ウイルスなる「生物兵器」を誕生させた真犯人だった可能性が強い!!その人物は2016年に帰国、東大や北大に籍を置いた後、例の岸信介の息子といわれる加計孝太郎が運営する獣医学部にいる!?という動転するような「島津レポート」情報を、大沼は見つけて翻訳、紹介していた。

 事実は小説よりも奇なりだ。


<旧動燃もんじゅ西村成生謀殺事件+反原発派刑事告訴事件で覚醒>

 311が起きるまで、日本人の多くは、多かれ少なかれ、原発推進派のナベツネ新聞・日テレの影響を受けていたのだろうか。311衝撃も、その後の政府・原子力ムラの隠ぺいを受け入れる「ゆでガエル人間」に甘んじてきた。しかし、311被ばく者の大沼は全く違った。東北の地で必死でパソコンと取り組んでいた。内外の原発情報を集めて、出版に余念がなかった。blogや本で紹介していた、これまた大沼に引けを取らないような反原発ジャーナリスト・竹野内真理の存在を知った。彼女もまた311の被ばく者だった。


 後者は、チエルノブイリの真相を伝える唯一の日本人ジャーナリストで、大沼同様に原子力ムラから、真実の怒りのネット発信で、放射能下のフクシマでの生活を強いる、これまた邪悪な女性活動家から刑事告訴を受けていた。

 無論屈せず「国境なき記者団」と連携してこれを撃破していた。


 多くの国民は、国民の叫びを代弁する反原発に人生をかける大沼や竹野内の勇気に対して、原子力ムラがあの手この手で投げつける悪質な犯罪行為を、無論筆者を含めて知らなかった。猛省するばかりだ。国民に正義を約束しているはずの全体の奉仕者が、不正な行為を推進、不当な政策を正当化して、押し切ろうとしていることに、特原発に言論人と議会は目を向ける責任があろう。


 凡人ジャーナリストは、市民運動家の情報提供で、すっかり忘れてきていた旧動燃もんじゅ西村成生謀殺事件を記事にする過程で、このことを既に克明に記録、情報発信していた竹野内の勇敢な活動と出会うことが出来た。


 日本国民は、ヒロシマとナガサキの教訓を学んできている。おなじく311の東電福島爆発による放射能に恐れおののいたが、放射能のフクシマは現在も進行形である。

 沢山の被ばく者が、白血病その他で亡くなっていることも知った。その中には、新聞テレビは報道しないが、幼児や子供の健康被害を竹野内は今も叫んでいる。多くネットでも伝えられている。沈黙することは断じて許されない。


 事情を知っている菅直人や野田佳彦・鳩山由紀夫は、黙っていていいのか。


<フクシマ隠しのコロナ4兆円五輪賭博の強行=菅義偉の退陣>

http://fukushimaworkerslist.blogspot.com/

 安倍と菅の自公政権が、なぜ五輪計画をぶち上げたのか。「ふくしま隠し」そのものだった。一人主張してきたが、図星だった。案の定、これに武漢ウイルスという日本人学者が生み出した生物兵器が、水をかけたのだが、それでも安倍・菅体制は、利権アサリのIOCと連携して、4兆円の五輪賭博を強行した。コロナ感染拡大という人命軽視に狂奔したのだ。


 日本国民が、菅に怒りをぶちまけて当然だった。電通や原子力ムラの防護服も役に立たなかった。菅退陣を招来させたが、2020年6月、反原発派の大沼は電磁波攻撃に倒れ、非業の死を遂げた。大義のない不浄な五輪中止論でblogを止められた筆者は、彼もまた五輪中止を叫んでいたことを知った。


 台風が日本に接近中だ。それは急速に大型化する。原子力ムラが真犯人である。原発派の安倍や菅、ナベツネと極右の日本会議やカルト教団に問題ありである。言論界も議会もすべからく反原発派でなければ、列島も地球も生き延びることは出来ない。

2021年9月28日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)


<被ばく者はフクシマにも沢山いる!核兵器も原発も禁止が正論>
テレビ長崎

20211月に発効した核兵器禁止条約に参加していない日本政府を、世論の力で動かそうと、長崎市で署名活動が行われました。 「核兵器をなくす署名お願いします」 26日夕方、長崎市中心部の繁華街で、日本政府に対し、核兵器禁止条約への参加を求める署名活動が行われました。 「核兵器の廃絶」という被爆者の願いの実現に向けた大きな一歩として、20211月、核兵器禁止条約が発効しました。 しかし、核兵器の使用は国際法上違法とするこの条約には、核保有国やアメリカの核の傘に守られている日本などは参加していません。 26日は、国連が定めた核兵器の全面的廃絶のための国際デーで、グテーレス 事務総長は「世界には14千発近くの核兵器が存在し、人類は核による壊滅の目前にある」としながらも、希望の兆しはあるとして、そのひとつに核兵器禁止条約の発効をあげています。 国際デーに合わせて署名活動に取り組んだ人たちは、思想・信条・党派を超えて条約の日本政府参加を!世論の力で政治の大きな変化を!と道行く人に呼びかけていました。

SOS!沈んでいる南太平洋の島々

(CNN) 南太平洋の島国バヌアツの政府が、気候変動から守られる権利をめぐって国際司法裁判所(ICJ)の意見を求める方針を明らかにした。

バヌアツのロウマン首相は25日、国連総会での演説で、国際社会は気候変動への対応をただちに強化するべきだと訴えた。

本澤先生、おはようございます。
フェイスブック繋がりの方からの発信を貼り付けます。  八千代、青柳
【原発爆発を告発する福島の会】
 推奨
< 反原発の群像 6️⃣9️⃣ >
【 高木仁三郎 】

【 NHK人物録 】
核化学者の高木仁三郎。原発問題を中心に巨大化した科学技術の危険性を指摘し続け、もう一つのノーベル賞「ライト・ライブリフッド賞」を日本人として初めて受賞。生涯にわたり「科学者として何をなすべきか」を問い続けた。
高木仁三郎は昭和13年、群馬県前橋市生まれ。昭和32年東大理学部に進学し、放射性物質を扱う核化学を専攻した。当時「未来の夢のエネルギー」と言われていた原子力。卒業後、研究開発の最前線に飛び込む。原子炉の実用化を目指す「日本原子力事業」に入社し、原子炉内部の放射性物質の研究に携わった。しかし高木の研究は原子炉の一日も早い実用化を目指す会社から疎んじられ大学に戻る決心をする。その後、宇宙からの放射線の研究をするなかで、核実験による大気中の放射線の多さに気付き、国家が進める巨大科学の在り方に疑問を持ち始めた。高木は「なんのための学問か」と科学者としての自分の姿勢を再び問い返すことになる。市民の不安に向き合おうとしない研究の在り方に疑問を抱いた。昭和50年、高木は大学を去り市民団体「原子力資料情報室」の設立に参加する。国や企業に頼らず原子力の情報を独自に収集し、市民と共有すること。企業やアカデミズムのためでなく市民のための科学者を目指した。核化学者の立場から原子力の危険性に警鐘を鳴らし続け
た。(続きはタップ)

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